日記/2021-1-11

最終更新時間:2021年01月11日 21時06分33秒

「回想イトマン事件」のどうでもいい話

 

 
 大塚将司「回想イトマン事件」読了。事件当時大塚がやったジャーナリストとしての矩を踰える行為に対しては賛否がありそうだが、私はいいんじゃないかと思う。相棒の國重惇史の(川崎定徳の佐藤茂を介しての)稲川会とのつながりにも自覚的であったようだし。
 まあ、でも、やったことは、2016年に出た國重の著書「住友銀行秘史」でばれちゃってるから、今さら賛否もないのか。
 

 
 以下、「回想イトマン事件」の、本筋とは関係ない、どうでもいい話。
 イトマン事件発覚前の1990年1月ごろ、日本経済新聞記者の大塚は財界クラブ(経団連や経済同友会などを担当する記者クラブ)に属していたが、クラブ記者たちの大きな関心事は次期経団連会長人事で、新日鉄出身の斎藤英四郎が5月以降3期目も続投するのかどうかということだった。
 営業畑出身の斎藤は陽気で多弁だったが、記者たちの間での評判は芳しくなく、「暗愚の帝王」と言う者もいたほど。
 対して、巷間、次期会長候補と言われていた東京電力会長の平岩外四は、寡黙で訥弁だったが、読書家で博学多才と見られていた。

 当時、平岩さんは経済誌に書評などを書き、哲学書から文学書まで古今東西の古典を渉猟しているようなイメージができあがっていましたが、実は、それはちょっと違うんですね。
 本当は、東電の総務部にゴーストライターがいて、その人が本を読んで書いていたのです。僕は、その人の打ち明け話を聞いているので間違いありません。

 ただし、平岩が読書家ではなかったのかというと、そんなことはなくて、大塚は夜回り先の平岩邸の応接間で、紐でくくられた椎名麟三全集を目撃している(椎名麟三は財界人が読むような作家ではないため、大塚は、平岩の秘密を垣間見たような気がしたという)。また、平岩邸の地下にあった十畳ほどの書庫には、図書館にあるような移動式の書架が並んでいた。

作られたイメージの側面があったとはいえ、平岩さんが財界随一といってもいい“読書家”だったのは間違いなく、営業マンを地で行く斎藤さんに比べると、“知識人”“インテリ”の範疇に入り、人格識見のある人物だったのは間違いなかったんですがね。

 そう思ってんなら、イトマン事件とは何の関係もないんだから、ゴーストライターのことは暴露しなくてもいいのに。