多摩蘭坂

最終更新時間:2009年05月23日 01時26分32秒


sakusaku 090522 3 みんなでうたおうZ 〜多摩蘭坂〜
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 2009/05/22放送のtvksakusaku」で、番組パーソナリティーの黒幕が、忌野清志郎の「多摩蘭坂」をカバーしていた。歌のバックには、つい最近ロケを行ったと思われる、多摩蘭坂周辺の風景が映し出されていた。

 途中、以下のような画面で、「多摩蘭坂」という名前の由来が紹介された。

 「たまらん坂」という名前は
昭和の初め頃この坂を
自転車で通う学生が…
「この坂きつくて、たまらん」と
口走ったことからつけられたといわれています。
 後にこの坂の近くに
下宿していた忌野清志郎さんが
当て字で「多摩蘭坂」という
曲を作り、全国的に有名に…。
今ではバス停も「多摩蘭坂」に
なっています。

 だがこれは、「読書記録ChangeLog経由で知った、こちらのページで紹介されている、黒井千次の短編小説「たまらん坂」で、主人公が調べ当てる事実とは違う。

No Item.

 主人公が国立の図書館で見つけた「国立・あの頃」という一橋大学の同窓会の文集らしき書物には、地名の由来として二つの説が記載されており、ひとつは件の自転車学生たまらん説なのだが、もうひとつは以下のようなもの。

 ある晴れ上がった秋の日、長い袴をはいた音楽学校の女生徒達が、坂を登って来るとコスモスの前に足を停めた。やがて彼女達は花を摘み始めた。秋の日射しの中に群がり咲くコスモスの可憐な色がそれを摘む人々の顔に照り映えて、女生徒達の姿を一層美しいものにせずにはおかなかった。
 部屋にいたY氏等学生は、花に手を伸ばす彼女達の姿を息を殺して見つめていた。暫くして、花を手に溢れさせた女生徒達は国分寺の方へ歩み去って行った。その時、宿舎の一角から突然叫びが上った。「わしゃ、もう、たまらん」と。剣道の選手で仲間うちの一番の年輩者の声だった。

「『たまらん』という言葉、それは、青春の感情の極限を表現するものだったのかもしれない」とY氏は綴っている。その後、「たまらん」という言葉は仲間の合言葉のようになり、学校からの帰途、この坂にさしかかる度に、そこを登って来る女生徒達の姿を思い起し、「もう、たまらん」と叫んだという。
 そこで、この坂に「たまらん坂」と名をつけよう、と話がまとまり、そのままではあまり趣きがないので土地から「多摩」をとり、北大の校歌から鈴蘭の「蘭」をとって「多摩蘭坂」と命名した。Y氏等は厳かにその名を宣言し、切り開かれた両側の赤土の壁に大きな字で「多摩蘭坂」と刻み込んだ、というのである。

 自転車学生たまらん説よりも風情があるこちらの説によると、「多摩蘭坂」という漢字は、清志郎ではなく、一橋の学生がその命名とほぼ同時に当てたものなのである。しかもこれは、字を当てた学生Y氏当人の手記に書かれていたこと。
 「国立・あの頃」は、その内容から、昭和三、四、五年に卒業した学生が三十年ぶりに寄せた手記をまとめたものらしく、ということは、そこに収められた文章は、「多摩蘭坂」が入っているRCサクセションのアルバム「BULE」が出るよりも二十年ほど前に書かれたことになる。コスモス女学生たまらん説の正否はともかく、少なくとも、手記がまとめられた昭和三十年代半ば頃には、すでに「多摩蘭坂」という当て字は用いられていたのである。

 tvkが言うような「忌野清志郎さんが当て字」したということはありえない。

 上でもリンクした、黒井千次の「たまらん坂」を紹介しているこちらのページの文章の終わりには、以下のような一文がある。

少なくとも自分は、伝承、伝説のねじ曲げた再生産は絶対にすまいと、黒井氏と小野氏に脱帽です。

 
 だからといって、「多摩蘭坂」という曲のすばらしさは少しも減じるものではない。

Tamaran-Zaka

 

追記

 こちらのページによると、自転車学生たまらん説やコスモス女学生たまらん説の出典である「国立・あの頃」は昭和47年発行とのこと。それでもRCサクセション「BLUE」の9年前。