小松左京映画の思い出・続

最終更新時間:2012年06月30日 08時59分23秒

 2011/07/30小松左京映画の思い出」に以下のように書いた。

 6、7年前、今はなき月刊アスキーに小松左京のインタビューが載っていて、なかなか興味深く読んだことを思い出しました。なかでも、60年代の東宝で「日本アパッチ族」映画化計画があったという話は面白かった。監督岡本喜八、コンペ方式でシナリオまで上がっていて、キャストにクレージーキャッツ。うおー、なんで撮らなかったんだろう、この映画。

No Item.

 本の雑誌349号(2012年7月号)の高橋良平「日本SF戦後出版史 アパッチ族と『日本三文オペラ』の巻」に、この謎の回答が記されていた。

 その一方、映画化の話はよく知られており、東宝が森田信企画、岡本喜八監督で進めていた。脚本は(中略)山田信夫氏で、その決定稿が<シナリオ>六四年十一月号に掲載された。がしかし、こちらも日の目を見なかった。
 なぜか。『小松左京セレクション2 時間エージェント』(ポプラ文庫・二○一○年九月刊)の「あとがき シュールな笑い」で、小松さんはこう回顧している。
 <いまから思えば、山田さんの脚本と岡本喜八監督の組み合わせだったら、さぞや面白い映画になったのではないか、と思われるでしょう。しかし一九六○年代の東宝では、シュールなアニメっぽい作品にする手法も確立しておらず、反体制的な色合いの濃い映画になりかねませんでした。私はそれがいやでした。したがって、私の方からこの脚本での映画化を断ったのです。そのかわり、平井和正さんにもっとシュールでハチャメチャで奇想天外な映画になるように脚色を依頼しました。しかし平井さんも忙しく、結局、映画は実現しませんでした>