表象空間の妖怪

最終更新時間:2009年09月15日 10時22分22秒

 香川雅信「江戸の妖怪革命」を読了。
 2009年8月に京都国際マンガミュージアムで、「妖怪天国ニッポン −絵巻からマンガまで−」という特別展を見たが、著者はその企画者のひとりで、兵庫県立歴史博物館の学芸員。
 読後感は、こちらのAmazonのレビューに言い尽くされているか。今後の研究の深化に期待したい。

 中世には「あの沼で水死事故が続くのは河童のせいだ」といった民間伝承との結びつきが不可欠で、「概念化による説明」という役割を果たしていた妖怪が、近世後期には、例えば鳥山石燕の「画図百鬼夜行」で、伝承から切り離され、1ページに1つずつ、カタログか図鑑のようにその姿が描かれるようになったことからもわかるように、いわばキャラクターとして楽しまれるようになる。妖怪は、伝承のなかから、フィクショナルな存在として人間の娯楽の題材として、怪談本、絵本、黄表紙、浮世絵、オモチャや手品、見せ物などのさまざまなメディアのなかに、その棲息域を変えていった、という具合に筆者の論は進んでいく。
 以下、本書第一章「安永五年、表象化する妖怪」からの引用。

 江戸時代においては、想像力は近代的な「著作権」、あるいは「作家性」や「オリジナリティ」といった概念のなかに封じ込められてしまうことはなかった。ある一つの作品のなかで用いられた「表象」が、さまざまなメディアによって引用、借用、あるいは盗用されることが頻繁に行われる。このような引用・参照のネットワークの内部を往還するうちに、「表象」は独自の生成・発展を遂げていくのである。
 筆者は、このさまざまなメディアによって形成された引用と参照のネットワークを「表象空間」と名づけたい。これは、サイバーパンクと呼ばれるSF小説群に登場する「電脳空間(サイバースペース)」のイメージに触発されたものである。「電脳空間」は、情報が行き交うコンピューターネットワークの上に構築された仮想の空間で、現実世界とは異なる独自のリアリティを持っている。この「電脳空間」と同じように、人工的に作られたメディアのネットワークのなかに、現実世界とは異なるリアリティを持った「表象」独自の世界が切り開かれていくのである。

 おお、ここにもサイバーパンク・ムーブメントの洗礼を受けたカウボーイが!

 「電脳空間」から「表象空間」への連想だが、当たり前だがもとは「cyberspace」であってこれを黒丸尚が「電脳空間」と訳したわけで、じゃあ逆に「表象空間」は?やっぱりフランス語で「Espace de la représentation(エスパス・デ・ラ・ルプレザンタシオン)」?とか、江戸時代の電脳空間を跳梁跋扈する妖怪、みたいな話を高野史緒あたりが書いてくれないものか、っていうかそれって「赤い星」?ちと違う?とか、妄想はいろいろ広がるが、それはまた別の話。