赤穂浪士と羊飼いの綺想

最終更新時間:2010年05月05日 20時57分05秒

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 芦部拓「綺想宮殺人事件」を読了。帯に「『黒死館殺人事件』『ドグラ・マグラ』『虚無への供物』に続く世紀の〈奇書〉、ついに降臨。」とあるが、残念ながら泡沫フォロワーの一つといった程度の出来。犯人の正体が、芦辺の著作を読んだことがある者からすると「またかよ」と言いたくなる、いつもの小物。芦部はよっぽどヤツらのことが嫌いなんだな、とゲンナリしてしまった。
 以下、本筋とは関係ない話。
 作中、探偵森江春策が宿泊した部屋の壁に描かれていた絵画が、見る方向によって、馬小屋で生まれたばかりのキリストを抱えた聖母マリアを羊飼いたちが祝福する図にも、炭小屋で切り落とされたばかりの吉良上野介の首級を抱えた大石内蔵助を浪士たちが祝福する図にも見えるトリック・アートであった、というシーンがある。
 作中にも記載のあるように、これは安田雷洲という幕末の絵師が描いた「赤穂義士報讐図」が、オランダの画家アルノルト・ハウブラーケンが描いた聖書の挿絵である「羊飼いの礼拝」の図を粉本としたものだ、という神戸市立博物館の岡泰正学芸員の研究が元ネタとなっている。
 で、さっそくググってみた。いみじくも森江春策が暴露したように「グー*ルとウィ*ペ*ィアさえ駆使すれば、誰でも博覧強記の教養人になれるのが当世のありがたさ」というヤツである。
 
 こちらが安田雷洲「赤穂義士報讐図」。

http://www.flickr.com/photos/22081105@N03/2889109096/in/photostream/

 
 で、こちらがアルノルト・ハウブラーケン(Arnold Houbraken)の「羊飼いの礼拝」。

http://www.mythfolklore.net/lahaye/201/LaHaye1728Figures201LukeII16ShepherdsFindJesusInMangerMed.jpg
http://www.mythfolklore.net/lahaye/201/index.html
http://www.mythfolklore.net/lahaye/201/index.html

 
 確かにそっくりの構図である。雷洲描くところの赤穂浪士の顔立ちや立ち居振る舞いがなんだか外人風なのも、オランダ人が描いた聖書の挿絵を元にしたということであれば、納得できる。

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 國華第一三四二號収録の神戸市立博物館学芸員岡泰正の論文「安田雷洲筆『赤穗義士報讐圖』の原圖をめぐつて」と、そこに抄訳が引用されているオランダ人銅版画家にして銅版画研究者でもあるアド・ステイマンの論考「『羊飼いの禮拜』のための一考察」によると、岡はすでに1985年には、そのモチーフからオランダの銅版画で聖書の図像が元になっているのであろうとのアタリはつけていたが、その後15年間の調査によっても、これが原図だ!というオリジナルそのものの発見には至らなかった。2000年に来日したステイマンと知り合った岡は、彼に積年の原図探索について語り、調査を依頼。そのときステイマンは「『東方三博士の禮拜』はキリスト教美術では最もよく取り上げられるテーマのひとつであるため、かえつて發見できる確率はかなり低いだろう」と岡に告げる(当初岡は「羊飼いの礼拝」ではなく「東方三博士の礼拝」が粉本だと睨んでいた)が、ともかくも依頼を受諾する。
 5年後、たまたま18世紀中国で製作されたヨーロッパ向け磁器に関する論文を読んでいたステイマンは、中国の絵付師が手本にしたとされる小型聖書の銅版画による挿絵に注目する。ヨーロッパから中国へ渡った商人たちは、旅行に持ち運べる小型の聖書を携えていた。その商人たちが本国へ戻る際、後に残していった聖書を、中国の絵付師が手にしたという訳である。これと同じことが日本でも起こったのではないか。その小型聖書の挿絵の縦横の比率が雷洲の作品と同じであることに意を強くしたステイマンは、挿絵の作家ヤン・ライケンが出版した数千にものぼる版画の調査を開始する(なお、岡によると、司馬江漢が参考にしたのもヤン・ライケンである)。収集家のカタログやアムステルダム大学の図書館、さらにはライケンの全銅版画を保管しているアムステルダム歴史博物館にもあたるがのきなみハズレ。しかし、このとき出会った歴史博物館の学芸員からの助言によって、先の論文にも言及のあったオランダ聖書協会図書館へ問い合わせを行うことになる。
 ステイマンから、「東方三博士の礼拝」の挿絵が入った小型判の聖書を探しているとの連絡を受け、雷洲「報讐図」のフォトコピーを受け取ったオランダ聖書協会図書館の司書は、数冊の小型判聖書を見つけたが該当する図はない、と回答する。ところがこの司書氏、そのあと「報讐図」を眺めていて、前年のクリスマスのレクチャーで取り上げた版画のことを思い出す。そして、まさにその版画こそが、雷洲の原図そのものだったのである。しかしそれは「東方三博士の礼拝」ではなく「羊飼いの礼拝」であり、作者はヤン・ライケンではなくアルノルト・ハウブラーケンであり、小型聖書の挿絵ではなく縦が44cmもある三巻本の大型聖書に含まれていたのである。
 そこで岡とステイマンは以下のような推理を展開する。縦44cmの大型聖書は、オランダ船水夫や商人が個人的礼拝に用いるには大きすぎるし、長崎出島に持ち込むことができるサイズを超えている。それなら、本が解体されて一枚物の版画となってから輸入されたと考えたらどうか。立派な聖書も百年もたてばバラバラにしても惜しくないものになっているだろう(この聖書の初版は1720年。雷洲「報讐図」が描かれたのは幕末)。当該聖書の他の挿絵の中に、日本の絵師への影響が想定されるものがひとつとしてないことも、この一枚だけが輸入されたことの傍証と言える。また、「羊飼いの礼拝」の図像自体は、出島持ち込みの検閲を突破し得た可能性が高い。なぜならそこには目立ったキリスト教的イメージは存在せず、描かれているのは男たちが一組の男女と赤ちゃんを取り囲んでいる場面に過ぎないからである。これには、この版画がオランダの伝統に従っていること(マリアに光輪を描くこともなく、厩での出産を耐え抜いたたくましいおかみさんとして描かれていることや、背後の羊飼いたちのキリストに祈りを捧げるでもなく私語を交わすさまが描かれていること)も有利に働いたのではないか。ただ、出島からどうやって持ち出されたのかという謎は残る……。

 以上、「綺想宮殺人事件」より「國華」の方が面白かったというお話でした。