「生きるための経済学」の「暗黙知」

最終更新時間:2008年04月06日 20時24分58秒

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 安冨歩の「生きるための経済学 ― <選択の自由> からの脱却」を読了。なかなか興味深い内容でした。
 ただ、「生きるための経済学=ビオ経済学」が具体的にどういうものなのか、明確に提示されないのはいまいち。でも、あんまり具体的に示してしまうと、自らの感覚によるところなく、ただ単に「従来の経済学=ネクロ経済学」か、「生きるための経済学=ビオ経済学」か、いずれかを選ぶだけ、という「選択の自由」の罠にはまっちゃうからできないのかしら、とぼんやり思ったりして。
 
 以下、自分なりのまとめ(終章の最初の方の抜粋に近いですが……)。

  • 現代の市場経済学は、物理の根本原理の否定の上に成り立っている
    • 効用最大化問題はNP困難
    • 模索の過程でのエネルギー損失も要する時間も考慮されない
  • なぜ、そんな非科学的な学問が信奉されるのか?
  • 現代の市場経済学は、自由の守護神であり、その否定は自由の否定につながるため
  • それが守護する自由とは、「選択の自由」
    • 選択肢が充分に与えられている状態が「自由」
    • その選択には責任が伴う。
  • 「選択の自由」は単なる神話にすぎない
    • アダムとイブがリンゴを食べることを選択して楽園を追放される、失楽園の神話に対応
  • 「選択の自由」は行使不能な自由
    • 選択肢は無限にあり、しかもその選択の結果は原理的に予測不能
    • まさに「自由の牢獄」
      • 神や全体主義への盲従
      • 押しつけられた規範と自分自身の感覚との乖離
      • 乖離から来る自己嫌悪とそれを覆い隠す自己欺瞞、虚栄
  • 真の自由=積極的自由のために必要なのは「創発」
    • 生命の持つ生きるためのダイナミクス
    • 自分自身の感覚を信じる
  • 現代の市場経済学=ネクロ経済学(necrophilia economy)
    • 自己嫌悪→自己欺瞞→虚栄→利己心→選択の自由→最適化
  • 生を志向する経済学=ビオ経済学(biophilia economy)
    • 自愛→忠恕→安楽・喜び→自立・自律→積極的自由→創発
    • 仁を欲する

 「ほほー」と思ったのは、「暗黙知」という言葉に対する世間の誤解について。
 「暗黙知」は "tacit knowing" の訳語であり、原語が動名詞であることからもわかるように、「知ること」という過程の名称、つまり、「暗黙に作動する知るという過程」のことであって、「明示化されていない潜在的知識」のことではない、とのこと。

「知」という過程は暗黙の次元のものであり、明示的に書き下しうる「知」などありえない。
ポラニーの思想に従えば、"explicit knowledge"(「明示的知識」「形式的知識」)はありえても、
"explicit knowing"(「明示知」「形式知」)はありえない。

 すなわち、「明示知/暗黙知」、もしくは「形式知/暗黙知」という対比は、根本的に間違っているということです。
 なるほど。私も誤解してました。
 とかいいながら、本当はこの説明をすぐに信じちゃうのではなく、原典に当たるべきなんでしょうねえ。

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 おっと、これ、翻訳の問題もあるから、当たるべき原典はこっちか。

No Item.

 こんなの絶対読まない(というか、読めない)ですねえ。