「アダルトビデオ革命史」の豆知識

最終更新時間:2009年06月15日 18時05分39秒

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 藤木TDC著、幻冬舎新書「アダルトビデオ革命史」を読了。
 その誕生前夜から、バブルとともに迎えた隆盛期、レンタルからセルへの流れ、近い将来ネットの無修正動画に駆逐されるかも……という具合に、40年のAVの歴史をコンパクトにまとめたもの。なかなか面白く、そして懐かしかった。
 以下、この本で知った豆知識。

2007年のビデ倫摘発

 2007年8月、アダルトビデオの自主審査機関であるビデ倫(日本ビデオ倫理協会)の審査部門責任者らがわいせつ図画頒布幇助容疑で逮捕、翌2008年3月に起訴された。
 このニュースを耳にしたとき、
「ビデ倫には警察OBも天下ってるだろうに。なんで逮捕者を出すなんてことに」
と不思議に思った。こちらの記事によると、当時ちょうど警察OBがいなくなっていた、ということらしいが、では、なぜちょうどそのタイミングでいなくなっていたのかなど、はっきりしない点が残る。
 「アダルトビデオ革命史」では、警察がなぜ他の審査機関ではなくビデ倫を摘発したのか、より説得的な説明がなされていた。

 「セルビデオ」という新しい流通形態を認めようとせず、市場の独占を維持しようとしたレンタル用AVメーカーに対抗して、セルビデオメーカーはビデ倫には加盟せず、それに替わる自主審査機関を独自に立ち上げていた。

 セルビデオ勢が巧妙だと感じさせるのは、流通の拡大とともに審査機関を任意団体から省庁認可の協同組合へ発展させている点だ。SODが設立したメディア倫理協会は05年に経済産業省認可を受け、コンテンツ・ソフト協同組合(CSA)へと改組されている。北都は当初、自社が立ち上げた日本倫理審査協会で審査させていたが、ビデ倫摘発前の07年5月から、03年にアダルト業界で初めて経産省認可を受けた事業協同組合、ビジュアルソフト・コンテンツ産業協同組合(VSIC)へ審査を移行させている。おそらく06年段階で水面下のアプローチがあったのではないだろうか。
 省庁のタテ割り構造から想像して、経産省の認可団体に警察が安直に介入することは体面上なかなか難しそうで、そうした意味で一介の任意団体にすぎないビデ倫は、警察によるAV牽制の格好のスケープゴートにされた可能性がある。

 行政機関の縄張り意識やメンツを利用して摘発を逃れようという目論見で、自主審査機関の経産省認可を受けていたのだとしたら、確かにセルビデオメーカーは巧妙だ。狡猾とさえ言えるが、いかにもありそうな話で面白い。

 ちなみに、摘発後ビデ倫は審査業務を停止。新たに設立した日本映像倫理審査機構(映像審)に傘下のメーカーを移行させる。この映像審の審査業務は、セルビデオ勢が設立した審査機関であるCSAの審査を行っていた法人が受け持つことになった。同書には、

これはある意味、旧ビデ倫が後発団体の軍門に降ったという事態を示している。

とある。

ダイヤモンド映像設立時の村西とおるの謹慎と復帰

 1988年9月、クリスタル映像でAV監督として大活躍していた村西とおるが、新たにダイヤモンド映像を設立、電撃的に独立する。
 しかし、直後の9月29日、村西は児童福祉法違反で三度目の逮捕。
 村西がまだ拘留中の10月15日、ビデ倫は次のような審査拒否通達を出す(ビデ倫の素早い対応からは、後年摘発されるなどとは想像すらできない、警察との蜜月ぶりがうかがえる)。

(1) 18歳未満のものを「成人ビデオ」に起用し、摘発された製作者が関与製作した
    すべての「ビデオ作品」を相当期間、審査の対象としない。
(2) 当該ビデオ作品を偽計により受審販売した加盟社は相当処分とする。

 この、対象者が村西ひとりしかいない、事実上の永久追放勧告により、村西は謹慎を余儀なくされる。
 警察は、当時飛ぶ鳥を落とす勢いの村西を見せしめとして逮捕することで、いわゆる「本番」などのアダルトビデオの過激化、公序良俗の紊乱を食い止めようとしていたのだと考えられる。ここまでは警察側の思惑どおりに事が運んでいた。
 ところが、翌1989年7月、15歳の少女をAVに出演させていたとして、所属事務所やAVメーカーの社長が逮捕されるという事件が起きる。このAVメーカーの中にビデ倫加盟の業界大手が含まれていたから、話がややこしくなってくる。以下、同書に引用されている「ビデオ・ザ・ワールド」誌からの孫引き。

・村西とおるの前例に照らせばビデ倫はここでの逮捕者を審査除外しなければならないが、該当5社のうち宇宙企画、KUKI、アテナ映像は業界最大手であり、ビデ倫に対する貢献度も高く追放勧告することは非常に難しい。とすれば、前年10月の通達文は無効にせざるを得ない。

 以下、同書からさらに引用する。

警察やビデ倫にとってまさに藪蛇の出来事だった。警察はそれまで村西に代表される本番路線の勢力に圧力をかける強硬な捜査体制をとってきた。ところがその強硬方針が思わぬところから本番を否定する保守的メーカーにまで影響を及ぼしてしまったのである。
(中略)
 89年9月15日、追放から約1年をもって、村西とおるはAVの現場に復帰することを許された。事前の通告のない、まったく突然の処分解除だった。
(中略)
児童福祉法違反により職を追われた男が、同じ類の事件によって復職したという、実に奇妙な展開である。

 村西はこの後、桜樹ルイ田中露央沙卑弥呼野坂なつみといった専属女優を使った作品で次々とヒットを飛ばし、ダイヤモンド映像はその短い絶頂期を迎えることになる……。
 以下は、豆知識のそのまた豆知識(というか、新たな謎)。

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 本橋信宏「AV時代 村西とおるとその時代」は、本橋の自伝であると同時に、その副題が示すように、村西とおるの半生記とでも言えるような内容である。当時本橋は村西のマネージャーのようなことをしていたのだが、彼しか知り得ない村西の素顔が詳しく描かれていて、非常に興味深い。
 しかしながら、三度目の逮捕に始まる一連の顛末については、なぜか一切触れられていない。この本では、88年5月の二度目の逮捕を契機に謹慎に入ったことになっており、三度目の逮捕については記述すらない。上述のような事件はきれいさっぱりなかったことにされているのである。
 これはいったいなぜなのか?

黒木香と岩井俊二

 ワキ毛のAV女優として一世を風靡した黒木香は、横浜国立大学出身。彼女はAVデビュー前に、同じ大学の学生が製作した自主映画「インディーポピンズ・キャンディーポピンズ」に出演していたのだが、その監督がなんと岩井俊二。
 以下「アダルトビデオ革命史」に引用されているAV雑誌「ビデオアクティブ」のコラムから孫引き。

 岩井氏の話によると、黒木香は同じ美術科の先輩と後輩の間柄で、その当時から成績優秀、かつ個性的な女のコとして、学内一の噂の女?だったという。ならば映画に出しちゃおう、しかし出てくれるかどうか役柄の問題もあって、岩井氏は交渉に自信がなかったそうだが、彼女は快諾、出演。撮影中の態度も真剣、プロ根性を感じましたね、と岩井氏。もっともその分他の素人俳優との演技的調和が取れなくて、演出上苦労したそうだ。(略)岩井氏は最後にこう付け加えた。
『何をしでかすか、判らない人だったのでね、(ビデオに出ても)ショックはありませんでした』

 さすがのYouTubeにもこの自主映画の映像はなかった。そもそも黒木香の映像自体がほとんどない。

 彼女のこの何とも言えない語り口が懐かしい。

 こちらのページにも書いたが、後年彼女は自殺未遂をおかすことになる。
 彼女の幸せを祈る。