「倭画巧名尽」は地図そのものなのか

最終更新時間:2011年01月02日 18時21分33秒

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 昨年(2010年)の夏に読んだ島田荘司「写楽 閉じた国の幻」が、「このミステリーがすごい!」2011年度版で第2位にランクインしていた。
 まさに巻を措く能わずとはこのことで、一気に読み終えたこの本。いわゆる「写楽別人説」を取り扱った小説で、従来は想定されていなかった新たな「別人」を写楽の正体だとしているのだが、大胆かつ合理的な推理が展開されていて、なかなかに興味深いものとなっている。
 ただし、あくまで「フィクションとしては」の話である。作中で示されるような推理や傍証ではなく、より直接的な物的証拠が見つからない限り、現在定説となりつつある「阿波の能役者斎藤十郎兵衛が写楽である」という説を揺るがすような説得力は、今のところこの新たな別人説にはない。続編が構想されているようでもあるし、今後の展開に期待といったところか。
 
 以下、本筋とはあんまり関係ない話。
 この本の中で主人公の浮世絵研究者が、よく知られている写楽関係の史料について、従来の解釈をなぞるような形で次々と思いをめぐらせていく場面。同書の裏表紙にも描かれている、式亭三馬の黄表紙の中の図「 倭画巧名尽やまとえしのなづくし

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 この図について、以下のような解釈が示される。

 享和二年、写楽の消滅から七年が経った一八○二年に、式亭三馬が著した「 稗史億説年代記くさぞうしこじつけねんだいき 」で三馬は、多くの弟子を持ち、一大系譜を作った絵師たちの中にまじえて、写楽を独立したひとつの島のかたちで表した。
 まったく売れもせず、世間に名を憶えられることもなかった絵師であれば、こうした待遇は考えられない。三馬は地図に写楽の文字など入れず、土地も与えなかったであろう。一世を風靡し、しかし弟子も取らず、強烈な個性を発揮しながらも流派を作ることのなかった孤高の絵師であったればこそ、三馬は写楽に孤島をひとつ与えた、そう解釈できる。さらに憶測を発展させれば、孤島・写楽という着想から敷衍して、浮世絵師たちの地図という趣向を、三馬は思いついたのかも知れない。

 あれ、この「地図」の解釈って、こうでよかったんだっけ?
 なんか、もっと素直な、そのまんまな話だったような気がするのだが……。

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 朧気な記憶をたよりに、本棚の奥からなんとか探り当てた文庫本、明石散人と佐々木幹雄の「東洲斎写楽はもういない」(1993年第一刷)にある「倭画巧名尽」の解釈は、以下のようなものであった(太文字化は引用者)。

 ところが、私もY氏よろしく何とか視点を変えた見方はないものかと考えていたところ、これらは、絵師の住んでいる家の場所をそのまま描いたに過ぎないことに気づいたのだ。東京湾を上に、つまり現在の地図の方位の取り方とは逆に、北が下になっている当時の地図の描き方で考えれば、写楽の洲は八丁堀にあたる。その他の絵師にしても、判明している住所に当て嵌めていくと、ずばり一致していったのだ。
 そもそもこの「倭画巧名尽」は、『 万宝新雑書ばんぽうしんざつしょ 』にある「日本地図」のパロディで、描かれているのは地図そのものだったのだ。「雑書」とは、暦占いと日常的な知識を述べた一枚物の刷りもので、裏面には主な出来事を歴史を追って述べた「年代記」が刷られている。
 これによって写楽の「八丁堀在住」に更なる確証が増えるはずだ。

 これだけである。
 確かに、これは「地図そのもの」であるという素直な解釈ではあるのだが、「その他の絵師」の「判明している住所」が「ずばり一致して」いる例がまったく挙げられていないため、なんだか肩すかしを食らったような頼りなさである。この解釈のことを私がはっきりと憶えていなかったのも、このあまりの頼りなさのためではないかと思われる。

 と、ここまでは「写楽 閉じた国の幻」を読了直後に確認していたのだが、写楽以外の絵師の住所をわざわざ調べるのもめんどくさいしなあとそのままほったらかしにして、いつしかそんなことも忘れてしまっていた。

 すると先日、この「東洲斎写楽はもういない」が単行本で再刊され、本屋で平積みにされているのを目にしたのである。明らかに「写楽 閉じた国の幻」のこのミス上位ランクインに便乗した再刊である。

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 しかも帯には「図版を大幅増補しここに復活刊行」とあるではないか。「『倭画巧名尽』は地図そのもの」という説についても、何らかの増補図版が追加されているかもしれないと、早速購入し、確認してみた。該当ページには、「倭画巧名尽」と対比して、ユリウス・クルトの「SHARAKU」掲載の八丁堀近辺のデフォルメされていない整然とした地図とキャプションが追加されており、これは、

  • 写楽が住んでいた八丁堀が掘り割りに囲まれた「孤島」と見なせること
  • 「倭画巧名尽」で最右翼に位置する歌川一龍斎豊春が、八丁堀の北、田所町に住んでいたこと

という二点の理解を助ける増補だと思われるが、「その他の絵師」の「判明している住所」が「ずばり一致して」いる例が一つしか示されていないことなど、いかにも物足りない。
 しかも、よくよく読むと、「『倭画巧名尽』は地図そのもの」説を説明している上記引用部が、以下のように修正されていた(赤文字化は引用者)。

 ところが、私もY氏よろしく何とか視点を変えた見方はないものかと考えていたところ、これらは、絵師の住んでいる家の場所をそのまま描いたに過ぎないことに気づいたのだ。東京湾を上に、つまり現在の地図の方位の取り方とは違い、東が下になっている当時の地図の描き方で考えれば、写楽の洲は八丁堀にあたる。その他の絵師にしても、判明している住所に当て嵌めていくと、ずばり一致していったのだ。

 つまり、前回の文庫化の時までは、当時の地図の描き方は 北が下 と説明されていたのに、今回の再単行本化にあたって 東が下 だと修正されているのである。
 これだと、たった一つ挙げられている例である、豊春が八丁堀の北に住んでいたという事実とつじつまを合わせるために、北が下東が下 と修正したと勘ぐられても仕方がないのではないか。
 
 ことここに至り、やっとこさ重い腰を上げて、自分で調べてみることにした。浮世絵の研究者でも何でもない、しがない理系サラリーマンである私が行う調査である。間違い誤解も多々生じるかと思うが、ホントに「『倭画巧名尽』は地図そのもの」なのか、気になって仕方がない。できるところまで調べてみることにする。
 まず浮世絵師たちの住所だが、これは図書館で借りてきた岩波文庫「浮世絵類考」の記載を採用する。

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 「倭画巧名尽」に名前があるのに「浮世絵類考」に住所が書かれていない場合には、すっぱり無視することにする。
 「倭画巧名尽」との比較のため、Google Map上に浮世絵師たちの居所をプロットしたい。そのためには江戸時代の所番地を現代のものに変換する必要があったが、これまた図書館で借りてきた「東京時代MAP 大江戸編」および「別冊歴史読本52号 江戸切絵図」(Amazonではヒットしなかったので、以下には似たような本を表示しておいた)と首っ引きで行った。

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 なお、「東洲斎写楽はもういない」には田所町在住とあった歌川豊春だが、「浮世絵類考」には芝神明三島町に住むとあったので、こちらを採用した。
 で、できあがったマップが以下のとおり。Google Mapと向きを合わせるために(少なくとも写楽と歌川一門との位置関係のつじつまが合うように)「倭画巧名尽」を右へ90度回転している。島ごとの色分けとGoogle Mapのアイコンの色は合わせてあるつもり。


大きな地図で見る

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絵師江戸現代
東洲斎写楽地蔵橋東京都中央区日本橋茅場町2−4−6
歌川豊春芝神明三島町東京都港区芝大門1丁目2−13
歌川豊広芝片門前東京都港区芝大門2丁目1−1
歌川豊国芝神明三島町東京都港区芝大門1丁目2−13
恋川春町小石川春日町東京都文京区本郷1丁目34−4
西村重長通油町東京都中央区日本橋大伝馬町13−6
一筆斎文調亀井町東京都中央区日本橋小伝馬町18−14
礒田湖龍斎両国薬研堀東京都中央区東日本橋1丁目10−2
鈴木春信神田白壁町東京都千代田区鍛冶町2丁目8−9
石川豊信小伝馬町東京都中央区日本橋小伝馬町4−9
菱川師宣村松町東京都中央区東日本橋3丁目6−13
喜多川歌麿神田弁慶橋久右衛門東京都千代田区岩本町2丁目14−3
葛飾北斎浅草第六天脇町東京都台東区柳橋1丁目3−12
鳥居清信難波町東京都中央区日本橋人形町2丁目26−5
鳥居清満芳町東京都中央区日本橋人形町3丁目4−15
鳥居清広堺町東京都中央区日本橋人形町3丁目7−6
鳥居清長本材木町一丁目東京都中央区日本橋1丁目16−3
北尾政美浜町へっつい河岸東京都中央区日本橋人形町2丁目6−1
北尾政演京橋銀座東京都中央区銀座2丁目6−7
北尾重政大伝馬町二丁目東京都中央区日本橋小伝馬町1−7
勝川春英新和泉新道東京都中央区日本橋人形町3丁目10−1
勝川春章人形町東京都中央区日本橋人形町3丁目6−7
勝川春好長谷川町東京都中央区日本橋堀留町2丁目1−5
以下の絵師は、Google Map上にプロットされていない
栄松斎長喜住所不明
古川三蝶住所不明
富川房信大伝馬町三丁目大伝馬町三丁目が見つけられず
奥村重長「奥村重長」は「西村重長」ではないか?
鳥居清倍住所不明
鳥居清秀住所不明
鳥居清経住所不明
勝川春常住所不明
勝川春潮住所不明
勝川春山住所不明
勝川春林住所不明
勝川春雀住所不明
蘭徳斎春童住所不明

 Google Map上にプロットされたものを見ると、なんだか中途半端な感じで残念だが、少なくとも、「その他の絵師」の「判明している住所」が「ずばり一致して」いるとは言い難い。かと言ってまったく違うわけでもなく、恋川春町の大きなずれに目をつぶれば「そこそこ一致している」ぐらいは言ってもいいのではないか。
 もちろん、上述の通り、素人の適当な調査であるので何か根本的な間違いがあるのかも知れないのだが……。

 ちなみに、「別冊歴史読本52号 江戸切絵図」を見る限り、当時の地図は確かに「東が下」のものが多いようだが、あくまで地形が優先で、場所によって「北が下」だったり、「南が下」だったり、「北西が下」だったり、様々である。