日記/2008-9
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2008-9-24
ラジ「キャトル」
先日見つけたカセットテープに録音されていた「サウンドストリート」1982/09/07(火)放送回は、強く印象に残っている、私にとって特別な回でした。
というのも、ラジの「わたしはすてき」がかかったから。
心地よいボーカル、しゃれたアレンジ……陳腐な形容しか浮かんできませんが、すばらしい曲です。これは決して私だけの意見というわけではなく、こちらのページには、
「わたしは素敵」(矢野顕子・作詞、坂本龍一作曲)という 日本ポップス史上最高傑作と思われる.......なんてことまでは 大袈裟すぎて言い切れませんが、僕の周りには同意見の人が 5人ほどいます。.........とにかく名曲があります。 なんとも表現しづらいんですが、とにかく雰囲気のある傑作です。
なんてことが書いてあるくらい。
一度聞いただけで「わたしはすてき」がとても気に入った私は、この曲が入っているアルバム「キャトル」が、「次の曲も『風の道』という名曲だ」という矢野顕子の言葉もあって、俄然欲しくなり、田舎のレコード屋を何軒も巡りました。
しかし、矢野顕子はこの曲をかける前に、
ちょっと皆さん聞いたことないと思うのね。 このレコード、あまり売れなかったから、ほれ。
とも言っていて、その言葉通り、田舎のレコード屋では全然見かけることがなくて、ずっと入手できずにいました。
数年後、偶然中古レコード屋で見つけた時のうれしかったこと!
YouTubeでアルバム・タイトルになっている「キャトル」を見つけました。これもなかなかいい曲です。残念ながら「わたしはすてき」は見つけられませんでした(その後、「わたしはすてき」もYouTubeに投稿されました!)。
名曲揃いのアルバム「キャトル」ですが、なぜかCD化されていません。
私が持っているラジの7枚のアルバム(2008/09/24現在、ウィキペディアの記事にはなぜかアルバム「Espresso」に関する記載がありません)のうち、「Heart To Heart」、「Love Heart」は何度かCD化されているのですが、それ以外のアルバムはCD化されたことがないようです。他の5枚のアルバムのCD化も切に希望します(これも私だけの意見ではありません)。
矢野顕子も認める名曲「風の道」は、作詞作曲を手がけた大貫妙子がセルフ・カバーしていて、以下で聞くことができます。私はラジが歌ってるやつの方が好きですが(その後、ラジの「風の道」もYouTubeに投稿されました!)。
追記
ニコニコ動画に以下のページを見つけました。二曲目が「わたしはすてき」です。
追追記
2009/08/28にYouTubeに登場!ありがとう!
追追追記
こちらのページに、YouTubeに投稿されているラジの楽曲をまとめてみました。
追追追追記
2010/10/19にラジの「風の道」もYouTubeに投稿されました。ありがとうございます。
追追追追追記
2008-9-21
坂本美雨の初恋の人は
部屋の荷物の整理をしていてカセットテープを発見。そのうち一本を聞いてみると、そこには大昔エアチェックしたNHK-FMの「サウンドストリート」が録音されていた。
こちらのページを参考に、どうやら1982年9月7日(火)放送分であるということが判明。
当時サウンドストリート火曜日のDJは坂本龍一だったが、彼が映画「戦場のメリークリスマス」のロケでラロトンガ島へ出かけていて不在ということで、この回はピンチヒッター矢野顕子がDJを担当。この年、坂本龍一と矢野顕子は正式に結婚したばかり。矢野の言葉のはしばしから溢れ出る幸せが感じられる。
番組の半ば、JAPANの「Life in Tokyo」をかける前に、デヴィッド・シルヴィアン、スティーブ・ジャンセンの兄弟が来日中に坂本家へも訪れたのだが、そのとき困ったことがおきた、という話を矢野が始める。
この方々、ウワバミ兄弟、やっとイギリスへ帰りました。 お兄様の方もそうですけど、弟様の方も、ずいぶん日本を堪能して いったんじゃないかなあ、と思います。 我が家にも何度か来てくれて、ずいぶん遅くまでいたり、そのまま 泊まってしまったり、しましたけど。 なんと、この、スティーブ・ジャンセンさんにですね、うちの一人娘が、 一人娘じゃないか、長女が、一目惚れしまして、困ってるんですよねえ……。 あれ以来、なんかね、それらしいような、写真とか、テレビなんかで キレイめの外人の男の人が出ると、 「スティーブ!スティーブ!」 って言うのね。 「スティーブどこ?」 って。それで、もう大変なんです。 うち来たときなんかもちゃっかり膝の上座るわ、一緒に寝ると言い出すわ、 あのー、母も、父も、どうしようかと、思っています。
ところが、ウィキペディアの坂本美雨のエントリを見ると、
両親の友人であったバンドJAPANのボーカルデヴィッド・シルヴィアンが初恋の人。
とある。
あれ?これはどういうこと?と、坂本美雨のサイトを見に行くと、そこには以下のような記述が。
…初恋はDavidだが、実は"本命"は恥ずかしすぎて、 すてぃぃぶぅ、と言ってどさくさにまぎれてヒザにのり、 よくなついていたのです。 というとスティーブに失礼か! いや、スティーブもダイスキだったんだよぅー。 気が多かったんです(汗)。
なるほど。
本命のデヴィッドには恥ずかしくて近づけず、それでスティーブへ……という意識が当時2歳の彼女の中にすでにあったのか、それとももう少し後になって意識されたものなのか、わかりませんが、どっちにしても女の子はすごいですなあ。
2008-9-11
「経済学という教養」のポスト・ヒューマニズム
稲葉振一郎「増補 経済学という教養」を読了。バカの私には難しかった。
補章「経済成長擁護論再び」の最後の節「複数の未来構成」では、地球という有限な系では、いくら資源を有効に活用するといってもいずれは限界がきてしまうという問題と、その解決策として、「大規模な宇宙植民」を「経済的に引き合わない」と否定した後、
物理的なシステムとしての人間それ自体の資源活用の効率を アップするということ、より極端に言えば、より少ない物質・ エネルギー代謝で人間が生きていけるようにする
という考えが、唐突に提示される。
具体的な方法は示されないが、「○○かもしれない」として列挙されるのは、
- 生物学的手法かもしれない
- 遺伝学的アプローチをとるかも
- 機械工学的手法かもしれない
- 記載はないが、銀河鉄道999の機械のカラダのようなイメージか?
- 人間が意識あるソフトウェアとなるかもしれない
- レイ・カーツワイル「ポスト・ヒューマン誕生」
- グレッグ・イーガン「順列都市」 「ディアスポラ」
不確実な未来に対して多様なアプローチを試みる、いまの人類とは 少しばかり異なる性質、様々な身体と精神を備えた人間たちであり、 さらに人間の知識と経験を継承しているが、もはや人間ではない 何者かたち ― それは生物かもしれないし、機械かもしれないし、 ソフトウェアかもしれない ― である。
最初、これはまさに、サイバーパンクにおけるポスト・ヒューマニズムでは!と思ったのですが……。
サイバーパンクにおけるポスト・ヒューマニズムは、人間が自らを改変し、人間であって人間でない、人間を超えた存在へと「進化」していこうとする志向を指す言葉だと思っていたのですが、その起爆剤となっているのは、ちっぽけな地球なんか飛び出していくような、野蛮で野放図なフロンティア・スピリットなのでは。
単純に宇宙を目指すということではなく、地球に縛り付けられ、そこにある資源の使いこなしに汲々とするような人間、そんな人間を超えた存在になることこそが、目指すべきフロンティアであり、そのためにはなんでもありというか、ある意味テクノロジーの暴走を無定見に肯定する危険きわまりない志向が、ポスト・ヒューマニズムなのでは。
それを、人体改変の目的が、限りある資源を効率的に使うためというのは、詰まるところ省エネのためということで、そんなチマチマしたこと言われてもなあと、さみしくなった次第。
身体が錆びるから、という理由で、宇宙船の船室内に空気を満たすのをいやがる「人間」がでてくるのって、「スキズマトリックス」でしたっけ。
私は省エネよりこっちの方がいいなあ。
2008-9-6
フロストとモース
先月買った「フロスト気質」をやっと読了。
このシリーズも第四弾。過去最長ながらも、次々と発生する事件を巧みに捌く作者の手並みはますます鮮やかで、ゆるみなくスピーディな展開で読ませるんですが、正直、なかなか読み進めることができませんでした。
ものすごい既視感があるんです。この話、知ってるぞ、次はこうなる、その後はこうなって、この件の犯人はこいつ……、それらが次々とその通りになっていくのです。先の展開がわかってしまうと、さすがに面白くありません。
2008年7月の新刊、単行本はでておらず、いきなり文庫になっていますので、以前この本を読んでいるということはあり得ません(原書を読む英語力もないですし)。
この既視感はいったいなんなのか?
読んでる途中でさすがに気づきました。
ああ、この話、ドラマで見たんだ。
何年か前、ミステリーチャンネルで、イギリスで制作された「フロスト警部」のドラマを放送していました(その後も何度か放送されているようです)。たまたま、この「フロスト気質」を原作とする回を見ていて、その記憶が頭の片隅に残っており、本を読み進むにつれ、それがよみがえってきて、強烈な既視感になったようです。
「フロスト気質」を原作とするドラマは2本作られているようです(少年誘拐事件をメインプロットとするものと、注射魔事件がメインのもの)。つまり、一つの原作から二つのプロットを作り出しているわけで、その意味で全然原作に忠実ではありません。
それなのにこんなに既視感を感じるということは、原作をよほどうまく分割してドラマ化したのでしょう。犯人を引っかける方法など、細かい部分までまさに原作通り。
ひたすら記憶を確認するためだけの読書となってしまいました。
そのミステリーチャンネルで先月「主任警部モース」を放送していました。ミステリーチャンネルでは字幕版を放送していたように思うのですが、先月放送分は吹き替えでした(何年も前にNHK-BSで放送された分かもしれません)。
たまたま見たのは「森を抜ける道」の回(DVDはボックスでしか売られていないようです)。
これは私がモース警部シリーズの中でも一番好きな話で、期待しながらドラマを見たのですが……。
原作と違う!
いや、事件の骨格というか、おおまかな部分は原作通りなのですが、最も重要と思われる、警察に送りつけられる謎の詩(暗号)が出てこないのです!
まあ、暗号ものは映像化しても面白くないというか、面白く映像化するのが難しいので、やめちゃったのかもしれません。しかし、最も重要な(少なくとも私はものすごく驚いた)サプライズが、この詩が登場しないために、丸ごとなくなっちゃってます!
確かに、この詩に関するサプライズは、犯人の解明には直接は無関係なので、プロットのことだけ考えれば、なくしちゃってもいいんでしょうが、モースのモースたる所以、モースの面目躍如たるサプライズであるため、果たして本当になくしちゃってもよかったのか……。
原作をアレンジしてドラマにするのが普通なんでしょうが、原作が大好きな作品であるだけに、この改変はちょっとどうかと思ってしまいました。
かたや原作に忠実にドラマ化されていたが故に楽しめず、こなた原作を改変してドラマ化していたが故に楽しめず。自分勝手なものです。